諦めの悪い塔の男 |
ヴァイル愛情反転憎悪B。女ヴァイル(一人称・私)と変な男レハト(一人称・俺)。 塔へ幽閉してから一年ほど経つが、レハトにつけた侍従から寄せられた報告は一貫していた。毎日大人しく過ごしていており、食事もきちんととり、逃げ出そうとするそぶりも見せないとのことだった。運動を欠かしていないようで、まだ塔を出られると思っているらしい。そろそろ顔を見にいってやろうとレハトの元へ向かった。 自らを閉じ込めたヴァイルに対し、彼はどんな目を向けてくるのだろう。自由を奪われた怒り、それとも王に選ばれなかった者が強引に玉座を奪い取ったのだという蔑みだろうか。どちらにせよ個人的な話になるだろうからと部屋の外に護衛は置いていく。 部屋にはずいぶんと男らしくなったレハトが長椅子でくつろいでいた。目を輝かせてヴァイルを熱っぽく見つめる。 「鈍かったよ俺。でももう聡くなったから! ……しっかりヴァイルの愛、受け取ったぜ!」 レハトはがばりとヴァイルを抱きすくめた。分化して約一年、暇を飽かして肉体を鍛えに鍛えたムキムキの盛り上がった胸筋と太い上腕の筋肉が、ヴァイルの華奢な身体を檻のように包み込んできて、顔を真っ赤にして頑張っても女の力では抜け出せない。 「離せ!」 「いやいやいや、照れちゃって可愛いんだからヴァイルは。俺のこと好きだから女になったんだろ」 「それは……っ!」 全力でむくつけき肉体の檻から逃げだそうとしていたためにとっさに言い返すことができなかった。しかし言質をとったとばかりに笑顔のレハトは、ヴァイルに顔を近づけた。唇がちょっと突き出ている。分化前のまだ彼に期待していた時なら、小さく笑って受け入れられたかもしれないその口付けから逃れようと、必死になってもがいた。しかし両腕は脇に垂らしたまま目の前の男に抱き締めつけられているので相手や自分の口を覆うこともできない。せめてそらすだけでもと、首を動かすが、レハトの両目は目標を補足したまましっかり開いているため、顔の角度を調整させただけだった。 もうだめだと彼女が諦めて目をきつく閉じたとき、男の動きが止まった。ゆっくり身体が傾いでいく。 「わっ、わっ」 床に倒れたすさまじい音の割に衝撃は少なく、男が下になっていたことは実に幸いだった。すぐさま緩んだ腕から抜け出し、距離を置いた。 「レハト……?」 起き上がらない。目をとじ、口は突き出したままの間抜けな姿に呆れかえる。こんなことなら女になるのではなかった。たったあの短い時間とはいえ、まったくの自由がとれない事態に思い出しても寒気がする。護衛の衛士をつけていればヴァイルに触れる前にこの男の自由は奪われていただろう。 胸のうちに混濁した思いをはき出すように深くため息をつき、乱れた衣服を整え、軽く手ではたいた。 おかしい、レハトが目を覚まさない。打ち所が悪かったのだろうか。おそるおそる近寄って様子を窺う。頬をつついてみるがぴくりともしない。もしやと、たくましく隆起している首元へ指を当てる。脈がない。 「レハト?」 山のようにがっしりと盛り上がった胸へ耳を当てる。鼓動が感じられない。侍従を呼ばわる自分の声を遠く感じながら、医士を至急塔へよこすよう命じた。 ******* 彼は何処からか毒を受けたということだった。ヴァイルが部屋に入ってから何も口にした様子はなかったし、窓だって雨が降っていたため堅く閉められていた。医士によると微量なら即効性の毒となり体調が優れない程度で済むのだが、致死量を受けると遅効性となり効果が現れたらすでに手の施しようがない場合が多いらしい。 「いやー、びっくりした。ヴァイルに初めてキスした衝撃で喜びのあまり気を失ったかと思った」 「……いっそそのまま死んでくれてもよかったよ」 致死量よりだいぶ多い毒を盛られていたと診断を下された男は見事生還した。すみやかに解毒は行われた今、後頭部に大きなたんこぶが一つ残るだけだった。駆けつけ施術した医士らはその回復ぶりに仰天していた。 つい先日倒れたばかりだというのに憎らしいほどぴんぴんしている。 「ははっ、ヴァイルは冗談が好きだな。最愛の俺が死んだら生きていけない、く・せ・にっ」 ふるふると拳を握りしめ、目の前のにやけた男を殴ってやりたい衝動を押さえた。一応は病み上がりで、仮にも寝台に横たわっているのだから。 「ごめんな、ヴァイル」 ヴァイルを見据えたレハトの瞳は彼女の心の内までするりと入り込んでくる真摯さを含んでいた。今まで情けないほど緩んでいた頬は引き締まり、意志の強さを窺わせる眉をひそませ、唇は固く結ばれている。 「驚いただろう。いきなり倒れて」 「あ……当たり前でしょ、誰だって、あんなの」 喉の奥が苦しくなって、思いきり顔を逸らす。だめだ。憎らしいレハトなのに、強引に口付けをせまってきたろくでもない男なのに、生きていてよかったと一瞬思ってしまった。目の前で呼吸をし、温かな身体の彼が存在するだけでいいと安堵してしまった。 きっとそれは物言わぬ骸に何をわめいてもむなしいし、裏切られた分だけひどい目にあわせてやりたいだけだ。もしくはただ単に、死に対し少し敏感になっていただけなのだろう。思えば幼い頃から死がつきまとっていた。物心つく前の母の死、慕わしい乳母の死、海へと旅立ったまま帰ってこない父。彼らを想うと、胸が苦しい。あとどれだけ時間が経てば、装った平静のままに凪いだ湖のような心でいられるのか。 「もう大丈夫だよ、ヴァイル」 包み込むような柔らかい声に、うつむき唇を噛む。彼の手がそっと頭を撫で、緩やかに腕が腰にまわり、優しくヴァイルを抱き寄せた。 「私は……っ」 「大丈夫。俺は死なないから」 「そんなわけない」 「毒で倒れても死ななかったのがその証拠」 「……たまたま運が良かったんでしょ、それって」 「ヴァイルを置いてどこにも行ったりしない」 「塔に閉じ込められてるのがまだわからないの?」 「ヴァイルの一生側にいる。退位するときも一緒な」 「ランテの屋敷までついてくるつもりなの」 「だって俺たちは半身みたいなもんだろ」 「……まだしつこく言い張ってるみたいだけど、私はあんたなんか……」 続けようとした言葉が唇に触れるレハトの指によって遮られた。苛立ってきたので噛みついてやった。 「……あんたなんか大嫌いだっ」 「俺はヴァイルが大好きだ」 「ばっかじゃないの」 「愛してる」 「そんなの信じるわけない」 「証拠がある」 レハトは寝台からのそりと起き上がり、側の引き出しから二冊の本を取り出した。なぜか本をじっと見つめ躊躇っている様子なので冷たく言ってやる。 「見せたくないならいいよ」 「いや、ヴァイルに是非見てもらいたい」 重々しく本を押し付けられて、試しに開いてみるとそれは詩集のようだった。強弱のついた癖のある文字が、なにやら愛について暑苦しく語っている。 「何これ」 「ヴァイルへの愛の」 「わかったから言わなくていい」 ひとしきり愛とは何かをこねくりまわすように論じた後、運命の人に出会っただの、もう離れられないだのと、場末の吟遊詩人でも歌わないような下手な詩が綴られている。頭が痛くなってきた。 もう一冊は、先ほどの忌まわしい詩集より下手な文字がちぐはぐに並んでいた。書き慣れないものを苦心している様子がわかる。日付と共に、城での出来事やそのとき何を考え思ったのかを述べているようだ。これは日記だ。 レハトは顔を赤くしている。 見なかったことにして読み進めていくと、城の生活になじんでいくにつれ日記に登場する人間が多くなっていった。とりわけ一人の名前が毎日出てくることに気づかずにはいられなかった。一緒に焼きたての時間を狙って菓子を食べにいったこと、中庭で協力して猫をつかまえたこと、見たことのない珍しい果物を食べたこと、よってたかって飾り立てようとしてくる衣裳係たちから逃げ延びたことなど取るに足らないささいな出来事さえ漏らさず書いてある。 湖に小舟で出たという記述にさしかかり、見たくもなくて頁を飛ばすつもりだった。しかしぶよぶよにふやけた跡につい手を止める。内容はヴァイルの記憶と違わなかった。思わぬことを言われた戸惑いがにじみ出ていた。親友だとか、今まで通り仲良くしたい、なんて空々しい文に腹が立つ。それから間もなくして、突然恋に目覚めたとある。同じ人間だと思えないほどの豹変ぶりだ。 頁を裏返してみると、レハトが告白した日について記してあるらしい。らしいというのは、あまりに字がにじんで、目を凝らしても読むのに難しかったからだ。それからしばらくよれよれの頁が続き、約束をしなかった後悔、声を掛けても取りあってもらえない嘆き、憎しみを向けられる悲しみの言葉がしおらしく並んでいた。泣いた跡を見せて同情を引くつもりか。わざとらしい。これでは涙をこぼしたどころか、花瓶でも倒したとしか思えない。後ろの頁や背表紙に濡れた跡はなく、さも本当に泣いたかのように一部分だけ湿らせるあたり妙に手が込んでいる。 にらみつけて文句をつけてやろうと顔を上げたら、レハトは目を真っ赤にして涙を滂沱とあふれさせている。 「なっ……」 「おぼ……思い出じで……ヴァイ……ルが……でんでんっ……べぼ……っ」 苛立って懐から布を出し見苦しい顔に押しつける。しかしそれもすぐさま濡れて用を為さなくなる。呆れて放っておくことにした。 最後の日の前後の紙もひどい状態で、これでは証拠にもならない。ところどころ拾って読むと、ヴァイルの名前と、非常に混乱し動揺している文言が見受けられたくらいだ。 継承の儀を経て、この塔へ居室を移してからは心情的に落ち着いたらしいが何故塔に閉じ込められているのか戸惑いが綴られており、一向に姿を見せないヴァイルの噂を侍従から聞き出して書き留めている。 以降はほとんど差異のない内容の文章が昨日まで続いていた。侍従から受けている報告より詳細だ。たいして広くもない部屋を走ったり飛んだり腕立て伏せをしたりと、一日のほとんどを筋力増強に費やしていることがよくわかった。木剣の所持さえ許せばそれに剣術の訓練も加わったに違いない。そうか、報告の中で毎日一刻ほど机に向かっているとあったのはこの日記を書いていたのか。毎日の最後が、「ヴァイルに会いたい」「ヴァイルの顔が見たい」「ヴァイルの声が聞きたい」などの文で締めくくられていた。 長く分厚い、一部ぶよぶよした日記帳を閉じた。 「それが俺の全てだ」 「……あんたが自分のことしか考えてないのがよくわかった」 「ええっ」 情けない顔のレハトに抱きすくめられる。またおかしなことをされないよう顔を背けて、吐き捨てるようにまくしたてた。 「ああしたい、こうしたい。こんなことがあって悲しい、後悔してる。みんなあんたの事ばっかり。ちっとも私のことなんて、想ってない。自分が一番大事で可愛いんだ。可哀相な自分を作り上げて酔ってるだけ。これみよがしに泣いてみせたって全部無駄だから」 「人の日記と愛の詩集を読んだんだから責任を取って結婚してくれ」 「言いたいことはそれ!? 第一そっちが見ろって押し付けてきたんだろ。ほら、やっぱり自分勝手じゃないか」 「ヴァイルが俺の全てを知りたいってお願いするから」 「言ってないし、そんなこと」 「……俺もヴァイルのこと考えない日はなかったよ。どうしてあのとき約束しようって言ったのか、玉座をかけて決闘なんてしたのか、知りたかった」 「あんたの自分本位な性格を今さら取り繕ったって何も変わらないから」 「わかったんだ、俺。みんな俺のこと好きだからやったことなんだろ」 「は?」 「愛してるから、それだけ約束断ったの怒ったんだろ。騙されたって俺の言うこと一切に耳を貸さなくなったり憎しみの目で見てきたのも、それだけ俺に期待しててくれたんだよな」 「嘘つきのあんたを信じた私が馬鹿だったんだ。もう騙されない。だから、もうあんたのことなんて」 唇にレハトの指がさえぎるように触れる。また噛みついてやろうか。 「ヴァイルが俺を嫌いって言うたびに百回愛してるって言うから」 なまぬるい脅しに従うつもりはまるでなかった。眼を細めて軽くにらみつけ、大きく息を吸う。 「まあそんなに俺の愛の告白を聞きたいっていうんなら、止めないけどな」 憎たらしいほどの笑顔でレハトがそう言うものだから、でかかった言葉を飲み込んだ。頭が、胸が、もやもやとしてざわめく。強引に彼の腕の中に閉じ込められたままのこの体勢も、彼の思うつぼにはまって「嫌い」と言えなかったことも、塔へ幽閉したはずなのに全然へこたれていないしぶとさも、全てが苛立たしい。 王だというのに、この男ひとり思い通りにならない。いっそレハトがいなくなってしまえば楽になれるのではないか。けれど静かに横たわる姿が脳裏によみがえり、その考えを頭から消した。怒りや憎しみを向ける相手がいなくなるより生きている方がずっといい。かけたい言葉をかける相手がいないむなしさをいやというほど知っているのだから。 「どう?」 胸を張って身体を自慢するレハトを一瞥し、顔をそらした。 「うっとうしい」 「ヴァイルが喜ぶと思ってムキムキになったんだ。どう? どう?」 「そうじゃなくて、自分がなりたかったの!」 レハトの無遠慮な視線がヴァイルへと注がれる。 「こっちを見るな」 「運動するだけじゃない。好き嫌いせず何でも食べてしっかり栄養つけて、きちんと身体を休め寝ることも重要だ。鍛えてる筋肉を意識するのも効果的だぞ」 「なに言ってんの」 「ヴァイルがムキムキになりたいって言っただろ。先達からの助言だ」 「そんなものいらないし」 「これから王城では王のように女がムキムキなるべきだって流行るだろうな」 「……そう」 なんだかもうまともに答える気も薄れてきた。どうせ何を言ってもレハトの話の調子に合わせられるだけだから馬鹿馬鹿しい。 「俺もちょっとやそっとの毒じゃびくともしないくらいにもっと鍛えなきゃな」 「これ以上どこをどう鍛えるんだよ」 「鉄の胃袋にする」 「冗談でしょ」 「明日からは食事に微量の毒を入れてもらおう」 「ついこの間毒で死にかけておいて、よくそんなこと言えるね」 「毒に耐性が出来ればもうヴァイルを心配させないし、味を覚えれば毒味だって出来るから一石二鳥だ」 「何でそこまでする訳……極端だよ、あんた」 少し考え込んでレハトが笑う。 「ヴァイルのことしか考えてないからだと思う」 「何で……」 「もう泣かせない。死なない。側を離れない。これからの俺の人生ずっとヴァイルのためにあるし、ヴァイルのことしか考えない」 「嘘だろ」 「あ、間違いだった」 「やっぱりあんたって奴は人をどこまで馬鹿にしたら……!」 「今のに加えて、俺とヴァイルの子のことも考えるに訂正な。うーん、子どもは何人がいい?」 「それおかしいから。結婚もしてないし」 「賑やかなほうがいいよな、やっぱ」 「自分が男だからって、そんな簡単に言って」 「産みの繋がりで男が気合い入れれば女の負担軽くならないかな」 「気合いだけでどうにかなるもんでもないでしょ」 「いやいや、なってみないとわからないぞ」 「言っとくけど、なるつもりないから」 「ヴァイルは子どもいらないのか」 「……あんたにランテ家の問題について首を突っ込まれたくないね」 「小さい頃のヴァイルはさぞかしかわいかったんだろうなあ。きっと俺たちの子どももヴァイルに似てかわいいんだろうな」 「……人の話聞いてないの」 「だって俺とヴァイルの問題だろ。家なんか関係ないね」 きっぱりと言い切ったレハトを凝視する。すぐさまレハトがうっとりとした目で見つめ返してくるのだから、片時も油断ならない。 「愛してるよ、ヴァイル」 間近にせまるレハトの顔を押しのける。 「どさくさにまぎれて変なことしようとするなっ」 「だってキスしたのに覚えてないなんて」 「してないってば、その前にあんたが倒れたの」 「じゃあ改めてということで……」 「しない」 「照れ屋だなヴァイルは。二人っきりなんだから気にしなくていいのに」 「あんたといるとすごく疲れる……」 「何っ、じゃあ俺の腕の中で羽根を休めるといい」 「ちっとも休まらない」 「どきどきして?」 「違う」 短い間にも彼の身体に抱きしめられていることに慣れてしまい、緊張や動揺など感じなくなっていた。ヴァイルが目指していた成人男性の均整のとれたたくましさをレハトは当然のように身につけていて、今更のように性差を感じる。不本意ながら自分でも納得がいかないのだけれど、彼の言う通り身を委ね休めることができたらという気持ちがないでもなかった。レハトを受け入れ、結婚し、家族になる。昔おぼろげにそんな夢を見たことがあった。だが過去は過去だ。戻れるはずがない。 レハトの裏切りと嘘が許せなかった。ヴァイルとの約束を断った彼の告白がもし本気だとしたら、突然の心変わりがあるというのなら、それは逆に突然ヴァイルを捨てて城を出て行くことにも繋がる。今は調子のいいことを言っているが、いつ覆されるかわかったものではない。やはり信じられない。わかっているのだが、抱きしめてくる彼の腕から出ることがひどくおっくうになってしまった。 扉を叩く音がした。侍従が許可も取らずに開けるわけはないのだが、慌ててレハトの腕から抜け出す。ヴァイルが予想していたよりずっと容易くできて拍子抜けする。扉の向こうから侍従の声が届く。 「ヴァイル様、そろそろ政務のお時間です」 王としてのヴァイルに引き戻される。 「わかった。今行く」 レハトは別れ際にヴァイルの頬を撫で、額へキスをする。 「待ってる。またな、ヴァイル」 ヴァイルはそれには答えず、レハトの元を去った。 その後も幾度となくしつこくレハトに求婚されたヴァイルが応えることはなく、独身の立場を貫いた。その一方で五人の子どもに恵まれ、ヴァイルの退位後は家族そろってランテの屋敷で賑やかに暮らしたのだった。 |
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