寵愛者と商人の密計
 中庭で茂みの向こうに見慣れた後ろ姿を見かけた。今日は何をして遊ぼうか。もう少しで焼き菓子ができる時間だから広間に行くのもいい。それとも犬小屋で子犬が生まれたというとっておきの話を一番先にしてしまおうか。とにかくレハトのびっくりした顔が見たい。うんと驚かせてやろう。足音を忍ばせ、そろそろと近寄る途中で誰かと話していることに気づいて止まる。
「最初はさ、王様になんかなれっこない、でもヴァイルの王配になれたら一生食いっぱぐれないなーって思ってたんだ」
「そりゃあ国一番のえらいさんだからねえ、贅沢三昧でしょ。せこせこ生きてる庶民からしたら羨ましい話だね」
 息を呑んだ。わかっていた。それを承知で城にいてくれるだけで充分だと思っていた。なのに自分が欲張ってしまった。足が動かない。聞いてはいけない、この先はもっと悲しいことを言われるのだと予想しているというのに石像になったように固まった。
「でもさ、なんか知れば知るほど心配になってくるんだよね。そこらへんの貴族とのかけひきは慣れてて、しっかりしてるんだけど、印のお陰か最初っから私にはびっくりするほど優しくて……。というか恋愛に慣れてないのかな。他のへんな人間に騙されたりなんかしないか心配」
「俺みたいな?」
「あはは、トッズみたいなうさんくさいのは真っ先に警戒されるよ。私が言ってるのはそうじゃなくて、真剣にヴァイルを好きだって真面目に告白する人かなあ。ノーティみたく闇雲に突進するようなのじゃなくて。だってさ、ちょっと手握っただけで真っ赤になって照れたりするし、好きって言った途端ものすごい動揺するし……」
 心配されていた。うれしい反面わかってもらえていないことにいらだちを感じる。レハトだからだ。相手がレハトのときだけ自分はおかしくなるというのに、レハトときたらちっとも知らずにいる。確かに自分のことをどう思うか尋ねて「好きだ」とまっすぐに返されてどうしていいかわからなくなったのだけれど。思い返して顔が熱くなる。あのときは翌日もどこかぎこちなくなさが抜けきれず、あまり普段通りに接することが出来なかった。
「ははぁ、いつのまにそんな進展したのやら」
「で、王配になってっていうのはどうでもよくなったんだ」
 どうでもいいと聞いて足もとが消えたような感覚に陥った。レハトにとって軽い存在。あってもなくてもどうでもいいもの。城から出たくなったのだろうか。それとも嫌われるようなことでもしたのだろうか。でも何も思いあたらない。目の周りがじわりと熱くなっていく。
「今のままのんびり過ごして何の取り柄もない側にいるだけの王配になったら、いざっていうときみんなヴァイル任せにしなくちゃいけない。周りにやる気ない馬鹿って思われてるままでいたら、ヴァイルまで馬鹿にされる」
「別にそれが悪いってわけでもないんじゃない? 現に今の王様と元王配ってそんな感じだったでしょ」
「噂でしか聞いたことないし、リリアノは大人だからよくわかんないけど、自分がやること全部に納得してきてるみたいで、そのへんは夫婦それぞれなんだって思う。でも私は嫌なんだ。だから変わりたい」
「で、平民候補者様として何をなさいますか?」
「王様になる」
「そりゃまた大きく出たもんだ。もう一人の候補者なんてみんな眼中になかっただろうに」
「他の余計な人間からヴァイルを守りたい。自分の思うようにできる力がほしい。というわけで協力してよトッズ」
「いやぁそんな期待されても、このしがない商人の身で寵愛者様のお役に立てるかどうか」
「情報収集と人を口車に乗せるのはお手のものでしょ」
「そらそうですがね。……でもいいの、今更王様にならないって発言ひるがえしちゃって」
「いいよ。ヴァイルだってそのへん想定済だろうし。……ヴァイルはさ、この額の徴のせいでずっと城に縛られてるんだよね。でも私ならそこから解放できるんだよ」
「……うーん、つっぱしるのは若者の特権だけど、ちょーっとお兄さんからの質問してもいいかな」
「何さ」
「向こうは王様になりたくないって言ってるわけ? 生まれながら継承者なのにそんな簡単に後から出てきた人間にもってかれていい気分しないんじゃないの」
「それがさー、もうヴァイルは王様になるしかないって腹づもりなんだよ。無理ないよね、生まれてからずっとそうして育ったんだもの。私が最初っから王様になる気はないっていってきたっていうのもあるけど、面倒事はみんな俺に任せとけってさ。でも何が何でも王様になるぞっていうんじゃないみたい。だから私は正々堂々ヴァイルと勝負するのが一番だって思う、ことにした」
「残り三ヶ月で巻き返せるって?」
「死ぬ気でやればできるよ」
「ずいぶん腹すえちゃったんだ」
「まあね。……ヴァイルを愛してるから。一旦気づくとさ、なんだって出来る気がするんだよね」
「愛の力で?」
「茶化さないでよ。まあ、否定はしないけど」
「あ、そーですか、はいはい、ごちそうさま」
「で、幸いここって教師には不自由しないところだから。ヴァイルや友達と一緒ならはかどるし効率いいし」
「ちなみにそのお友達に俺も入ってるのかな?」
「もちろん。頑張ろうねトッズ。頼りにしてるよ」
「お断りする選択肢は俺にないってわけか」
「もちろんあるに決まってる。でも恩売っといて損はないと思わない?」
「はいはい。わかりましたよ……っと、そろそろ時間だな。俺帰るわ」
「ん、話聞いてくれてありがと」
「トッズさんの恋愛相談室は悩み多き青少年にいつでも開かれてますよー」
 ひげの商人が近付いてくる気配に慌てて柱の陰に隠れる。廊下の角を曲がって影も見えなくなったのを見計らって少し移動してレハトを窺うと何だかすっきりとした顔をしていた。レハトが手に持っていた本に目を落としたすきに、その場を足早に離れた。
 心臓の音がうるさい。とりあえず部屋に帰ろう。自分がどんな顔してるかわからないから、誰にも会わないよう秘密の抜け道を通っていこう。いや、王族の塔は誰かしらいる。部屋には侍従頭をはじめ侍従たちがいる。中庭の奥で頭を冷やそう。それでちょっとレハトの言ったことを反芻して……いや、だめだ。そうだ、昼寝しよう。ちっとも眠たくないけど、頑張って昼寝しよう。そう決めて茂みの間に隠れて走り出した。
【戻る】