反転薬
男ヴァイル、女レハト。じわじわ憎悪Bとその後。貴族が嫌いで自分勝手で結構変な主人公。


 選定印があると有無を言わさず村から城へ連れてこられた。リリアノには私が王になるなどありえないと断言された。確かにローニカの言う通りリリアノは公正なのだろう、父親が誰かも知れぬ田舎者を王候補として扱い、甥のヴァイルと勝負させる機会を与えるのだから。しかし出自が貴族で城で最高の教育を受けてきたヴァイルと競わせるなど形式上の勝負でしかありえない。字もろくに読めない人間を一体誰が王と認めるのか。
 これ以上の不公平はない。かたや生活するだけで精一杯の農民、かたや生まれてから何不自由することなく次期国王として大切に育てられた貴族。なぜ同じく印を持ち、王となる資格があると言うのなら、この違いは何だ。たった一年にも満たない期間でこの不公平を追い越せと無理を言う。ならばやってやろう。次の王になるのだと皆からかしづかれてきたヴァイルを、何の取り柄もない田舎者が追い落としてやる。徹底的に。

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 やがて才覚を示した私はネセレの再来などと囁かれるようになった。ネセレ結構。いけすかない貴族の連中など追い出してやるのもいいだろう。先王が退位し一年もすれば私の天下だ。

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 黒の月になる頃には私の評判は上々で、この分なら玉座を我が物にできる自信があった。
 ある日、広間でヴァイルと食事を共にすることになった。豆をよけるヴァイルの姿はひどく子供じみていて、競争相手として情けなくなり、少々たしなめてやろうと口をだした。その途端ヴァイルは姿勢を整え、完璧な所作でごく自然に豆の残っていた皿をきれいに平らげた。私とてやってやれないこともないが、それは細心の注意を重ねた上でのことだ。生まれだ育ちだなどと言われれば内心鼻で笑って実力で見返してきたが、真実生まれのよい人間を目の当たりにして言葉を失った。城へ来て一年に満たない自分がどんなに努力しても所詮は田舎育ち。生粋の寵愛者には敵わないのだ。
 敗北感で満たされた私の胸の内は不思議なほど静かだった。ヴァイルへの憎悪は霧散していた。最初から王は決まっていたのだ。リリアノは正しいことをただ述べただけだった。ようやくそのことに気づいた。
 やがて年が明けた。すでに王になる気をなくしていたが、リリアノが呼んだのは私の名だった。辞退する間もなく激怒したヴァイルが決闘を私へ命じた。ここは正々堂々と受けてたつ他ない。今更私に玉座を譲られてもヴァイルの気はおさまらないだろう。私たちの技量は互角だった。玉座への執着心もヴァイルへの憎しみもなくなった私の剣は、彼の全てを賭けた思いの前に、はじき飛ばされた。荒々しく息をつくヴァイルの目は地べたに座り込む私を一瞬とらえたが、すぐそらされてしまった。
 なにはともあれこれで王はヴァイルだ。ヴァイルはどのような王になるのだろうか。ぜひ側で見届けたいものだが、おそらくリリアノの言葉通り城から、ヴァイルから離れたほうがいいのだろう。
 成人の儀の際、女を選んだのは単に貴族へのいやがらせのためだった。決闘に敗北し私が王になれないとわかった途端に手のひらを返す態度に腹が立っただけだ。せいぜい余計な思惑に振り回されるといい。
 無事に篭りが明けてヴァイルと再会したのは継承の儀だった。重厚なマント、きらびやかな宝飾品の数々がヴァイルの威儀を盛り立て、文句のつけようもなく立派な若い王の姿がそこにあった。儀典にのっとった隙のない立ち居振る舞い。何一つ迷うことのない沈着した眼差し。広間の端まで凛と届く確信に満ちた声。思わず儀式のことなど忘れて見入ってしまった。側にいた儀官の小声によって我に返ったがその後何を口にしたのかすらよく覚えていない。私はぼうっとしたまま城の一角にある塔の上階へと居を移されていた。
 塔ではヴァイルの許しがない限り外出は許されず、部屋で過ごす毎日だ。よく知るローニカやサニャは外されて見覚えのない侍従がついた。彼らはよく気が利き生活していて何の不自由もないが自由もない。
 けれどそんなことよりも、どうすればヴァイルの王配の座に座ることができるのかを考えていた。継承の儀以来私の頭はヴァイルで満たされている。ヴァイルが以前「選定印は血筋に因らない」のは嘘だと言っていた。印は遺伝する確立が高いと。ランテによる印の独占を続けたいのなら自分を王配に迎えればいいと申し出るのはどうだろう。しかし、もし私とヴァイルが結婚したらという仮定の話でさえ彼はかなりの嫌悪感を表していた。兎鹿小屋にいる兎鹿くさい兎鹿と、身体を磨き上げ似合いのドレスと香をまとった私のどちらかを選べといわれれば、すぐさま兎鹿を選びそうなほどだ。それに独占というならば印の持ち主である私を塔に閉じ込め貴族たちから一切の接触を断った時点で半分以上成功しているではないか。これでは説得材料にならない。王の権力は絶大である。それに比べれば私の差し出せる条件など条件にもならない。差し出せるのはこの身ひとつだけだ。
 好きな相手に嫌われているのはつらい。憎んでいた時はなんとも思わなかったヴァイルの刺すような眼差しに、心臓に杭でも打ち込まれたかのような重苦しい痛みを感じる。こちらが好意をちらとでも見せれば気味悪がられ、側に近寄るのも厭わしいといった態度に毎回打ちのめされる。どうにかヴァイルの心を手に入れたい。手に入れられるのなら魔物に魂を捧げてもいいと思うようになっていた。
 ある日、部屋に見知らぬ女が現れた。どこから入ってきたのか、扉の向こうで控えているはずの侍従から声もかからず、いぶかしく思った。彼女は一方的に喋って小瓶を残していつの間にか消えていた。小瓶の中身は私に対する憎しみを愛情に変貌させる薬だという。ただしもし仮に愛情を持った者が口にすると憎悪を抱く。ならば心配ない。ヴァイルの心は私への憎しみでいっぱいだ。効果の持続時間はその感情を抱くようになった期間と同じだけ。王配の座を手に入れるには、五ヶ月もあれば十分だ。
 思い詰めた私が何かするのではないかといつしか監視がきつくなり、侍従の顔ぶれが変わった、同時にヴァイルの訪れが少し増えた。以前のような嫌悪の感情を向けられることはほとんどなくなっていた。この分なら小瓶の薬に頼らなくてもいいのではないか。
 毎日が楽しく、ヴァイルとの会話や食事の時間は夢のようだった。
 しかし突然ぴたりとヴァイルが現れなくなった。侍従に尋ねても王の政務が忙しいとしか返ってこない。私の意識は再び小瓶の薬に引き戻される。

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 薬を使うと決めてからは辛抱強く大人しく毎日を過ごし、ヴァイルが訪ねてくるのを待った。こちらが呼んで来るはずがないし、目的は薬を盛ることなのだから怪しまれる行動は厳に慎むべきだ。突然私がお茶を淹れるなどといっては不自然極まりないので、元々嫌いではなかった茶の配合を趣味にすることにした。様々な植物を取り寄せ、ヴァイルの好みに合いそうなお茶を追求するのは張り合いのある作業だった。一ヶ月、二ヶ月と経ったある日、努力の甲斐があってかヴァイルが塔に来るという知らせを受けた。焦ってはならない。その日は何もせず過ごしお茶の話題を振りまいておいて、三度目の訪問で実行だ。
 あらゆる意味でヴァイルのために淹れたお茶を、口もつけずに彼はこう言い放った。
「毒入りのお茶なんてごめんだね」
 ばれていた。あんなに押し隠していた秘密を一目で見抜くとはさすがヴァイル。こうなってはお茶を全て飲み干し私の心をヴァイルへの憎しみに染めるしかないのか。
 いや、毒ではない。そうだ。ヴァイルを殺す気などない。あるなら決闘の時にやっていた。この目が殺意を持っているように見えるのか。
「見えないけど……ここに入れてからのあんたはちょっと異常だったから」
 異常! 恋心を異常と断定された! しかも想い人本人に!
「それはともかく。毒じゃないならこのお茶には何が入っているのかさっさと言いなよ」
 私にとってはともかくで片付けられてはたまらない人生の一大事なのだがしぶしぶ答えた。侍従が持ってきた水とレコラの葉と、イブネサの葉と、よく乾燥させたプシェの蕾だ。どれもお茶の素材として珍しくないものだ。
「もう一つあるだろ、肝心なのが」
 仕方ない。ここまできては騙し通すこともできないと観念し、私への感情を逆転させる薬だと白状した。
「そんな都合のいい毒なんて聞いたことないし、怪しい女から手に入れたものをよく人に飲ませられるよね。あ、毒だから何だっていいか」
 痛い。声音と言葉の端々から伝わる軽蔑が胸に痛い。思いつく手段がもう他になかったという言い訳すら口に乗せるのも恥ずかしい。
「あんたがこれを本物の薬だと主張するならいいよ。試してやろうじゃないか」
 それではヴァイルがついに私を……。
「ま、俺で試すつもりなんて気さらさらないから」
 そうしてヴァイルが連れてこさせたのは、私と仲が悪い兎鹿だった。
 初めてこの兎鹿と会ったのはヴァイルが城下へ出かけるときだった。鹿車につながれた兎鹿は、まるでヴァイルへの憎悪を見透かすように威嚇してみせた。顔に唾を吐きかけられて胸くその悪い不愉快な気分になったのを今でもよく覚えている。それからというものの顔を合わせるたび、唾をかけられるかどうかの勝負が兎鹿と私の間で繰り広げられたのだった。
 その兎鹿が目の前にいる。私が部屋の中にいると気づいた途端興奮して手が付けられない状態になった。連れてきた侍従は腰を低くして兎鹿をその場とどめようと踏ん張るものの、繋がれた綱ごと引っ張られてしまう。兎鹿はずりずりと私の方へ近づいてくる。駆けつけた衛士によってその歩みは止まった。二人に綱を持たれていなければまた私に唾を吐きかけたに違いない。
 ヴァイルがカップの受け皿に茶を注ぎ、兎鹿に飲ませた。ふんふんと鼻をひくつかせて匂いをかいだ後、ぺろりと舐め干してしまった。しばらく様子を見守っていると、私を見る兎鹿の目つきが変わってきたのに気づいた。
「レハト、こっち」
 素直にヴァイルの隣に行く。大きなため息をつかれた。
「俺のところじゃなくて、兎鹿のところ」
 おそるおそる近付くと、兎鹿はすり寄ってきた。甘えるようにぐりぐり頭をこすりつけてくる。こうしてみると可愛らしくみえる。長いふかふかの毛並みをそっと撫でると、いっそう甘えてきて顔をべろべろ舐めだした。臭いに辟易したが、こうまで一方的に懐かれてはほだされるというものだ。なぜヴァイルはほだされてくれないのか、という疑問が頭をかすめた。兎鹿の毛をごりごりと大きく撫でほぐしながら、ヴァイルへの愛情表現が足りなかったのではないかと思いはじめていた。嫌われることに臆病でいては、好かれないのだ。兎鹿が身をもって教えてくれたことを早速実践しようとヴァイルに歩み寄ろうとするが、もっと撫でろと兎鹿が邪魔をする。両腕がくたびれるほど豪快に撫でてやったではないか。
 後日ヴァイルが連れてきたのは、私を田舎者だと蔑んでいる子爵だった。名前は覚えていないし覚える気もない。ここはヴァイルの次に私を憎んでいるタナッセを連れてきたのかと予想したが違ったらしい。考えてみると城を出奔したタナッセが呼ばれたからといって素直に城へ来るだろうか、いや来ない。
 実験だからと薬について話すことはヴァイルに禁じられていた。
 子爵は王のいる手前大人しくしているが、決闘に負けて塔に閉じ込められた私を笑い者にしたくてたまらないといった顔だ。お茶をヴァイルから勧められ、ちびりちびりとカップの半分ほど飲んだところで変化が現れた。
「レハト様……!」
 がく然とした顔で私を凝視する。もしや、あの兎鹿のように顔をべろんべろん舐めてくるなどという行動にでるのではないか。椅子を引いて立ち上がろうとした。が、右手を掴まれた。急いで手を引いたが間に合わない。手の甲に口づけされてしまった。
「ああ、失礼致しました。どうか突然のご無礼お許しくださいますよう。麗しい花を目の前にして何もせずにはいられません。光り輝く太陽を隠してしまう雲のように貴方のその魅力を覆い隠していたものが憎らしい。私は」
 その後もぺらぺらと続きそうだったのだけれど、ヴァイルによって中断された。王たるヴァイルの存在を忘れさせるほどのききめがあったようだ。青ざめた子爵は弁解の言葉を紡ぐ間もなく、用はすんだとばかりに退場させられた。
 手に残る唇の感触に我慢ならず、手巾でごしごし拭き取る。望まない相手に触れられるのは不愉快だ。……もしかしたらヴァイルもそうなのだろうか。いや推測するまでもない。
 その後連れてこられたのはサニャだった。もう彼女は城を下がっているから私のことに巻き込むのはやめてほしいと訴えたが退けられてしまう。二回も確かめたのだからもうもう十分ではないか。
「前は文句言わなかったよね?」
 すでにもう憎まれていたのだ、だからそれ以上悪くなることなどなかった。だがサニャは違う。私と同じような村出身で気張ることなく一緒に過ごせたし、優しいサニャがいたから城生活も耐えられた。そんな彼女に嫌われたくない。
「なら本当はどうやってあの小瓶を手に入れたのか話してよ。そしたら飲ませるのはやめる」
 だから、どこから来たのかわからないが部屋に現れた見知らぬ女からもらったのだ。
「そう」
 だめだ、信じてもらえない。信じろというほうが無理な話だ。
 ヴァイル手ずからお茶を渡す。サニャは泣きそうな顔でカップを見つめる。彼女が王に逆らえるわけがない。側で私たちが揉めていることに不安を感じているだろう。サニャは何が入っているのかわからずに飲まされようとしている。サニャの手が震えて受け皿に当たったカップがカタカタと音を立てた。
 彼女が故郷に帰れば二度と会うこともないだろう。ならばサニャに嫌われても憎まれてもかまわないのではないのか。そうだ。塔にいる私を見ることもないのだから、サニャにとっても問題はない。遠くで暮らす不愉快な人間が世界に一人増えるだけだ。加えて効果は一時的なものだ。
 そしてヴァイルは薬の効果を認める。だがサニャに薬を飲ませたとして、仮に彼が薬の効果を認めたところで何になる。言ったではないか自分で試すつもりなどないと。ヴァイルが進んで薬を飲むことは決してないだろう。もしかしたら次はグレオニーやモゼーラが呼ばれるかもしれない。こうなっては私が実力行使で止めるしかない。
 サニャの手からカップを奪い取り一気に口に含み、あっけにとられるヴァイルに口移しした。首尾良く飲ませた後は、急いで水で口を注ぎ、よくうがいをする。自分で飲んだらどうなるかまでは知らないが、ヴァイルの気が変わっても私の気まで変わってしまっては、だいなしだ。
「あの……レハト様、陛下は、あのカップのお茶は?」
 何も聞かないで、故郷に戻ってほしい。自分でもかなり無茶なことを言っているが、ヴァイルにしでかした以上の無茶など物の数ではないという気になっていた。
「サニャは王命でお城に参りましたです。陛下のお許しがなければ帰れません」
 すっくと立ち上がったヴァイルがサニャを見ずに下がれと言い放つ。戸惑う彼女に、とにかくヴァイルの言う通り部屋から出てと目で伝えるとサニャは頷きあわてて退出した。
「レハト……」
 ヴァイルにきつく抱きしめられて、幸福感で頭がおかしくなりそうだった。深呼吸するとヴァイルの匂いがした。あの兎鹿のような激しさがないのが残念だが、ヴァイルが私の顔を舐めてくることなど想像もできないので仕方ない。私はゆっくりと彼の背中に両手をまわした。耳元でヴァイルが優しく囁く。
「これでうまくやったと思っているのレハト」
 とてもじゃないが熱情にうかされる人間の言うことではない。とっさに離れようとして、抱きしめなおされる。
 まさか口では私を罵っておきながら、心の底では私への愛に身を焦がしていたとでもいうのか。
「俺があんたを? まさか」
 ちょっと言ってみただけだ。面と向かって否定されると傷つく。
「最初から俺を殺す毒じゃないってわかってた。レハトが淹れたお茶なんて真っ先に怪しまれる。俺が死んだらあんたももれなく死刑だもんな。計算高いあんたがそんなへまするわけないし。実際あのお茶を調べたけど毒も薬も一切出てこなかった。それも妙な話なんだよ。いまだにあの兎鹿は兎鹿小屋を抜け出そうとして毎日暴れてるよ。子爵はこそこそ会いに来る手段を探ってる。薬の効能とやらを知らない兎鹿や人間に飲ませてもあんたの言った通りに変わった。これっておかしいよね」
 そういえばヴァイルだけは効果がなかった。確かに飲んだはずだったのに。
「……あんたに機会をやろう。望み通り王配にしてやる」
 どうして今になってそんなことを言い出すのだろう。
「必死になるあんたが結構面白かったからね。その調子で俺の気を変えてみたら? でも毒も薬ももう禁止。次はないよ」

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 勝負は、私の勝ちだった。普通とはやや違った道をたどることになった私たちだが、一年経った後も離婚せず仲睦まじく城で暮らしている。きっとこれからもそうだろう。
 執務を終えたヴァイルは部屋に戻るなり
「あー、疲れた。ねえ、いつものお茶入れてよ」
と言って長椅子でくつろぐ。今では例のお茶がヴァイルのお気に入りとなっていた。早速お茶を用意して、ヴァイルの隣へ座りカップを手渡す。
 未だに不思議なのだが、どうしてあの薬がヴァイルには効果がなかったのだろう。
「……さあ、時間が経って薬の効果が切れてたんじゃないの」
 色々と考えたのだが、もしかするとあの薬を飲んだ時点ではもう私のことを憎んでなかったのではないか。もちろん愛してもいなかっただろうけれど。無関心に近い状態ならヴァイルに変化が見られなかった理由に納得がいく。
「レハトもおかしな奴だよね。俺のこと最初っから嫌いだったのに」
 嫌いではない。何もかも恵まれていたもうひとりの寵愛者が憎らしかっただけだ。
「レハト……」
 もちろん今は愛してる。運命の人だと思っている。だからそんな顔をしないでほしい。ヴァイルの分まで豆を食べてあげるから。
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