魔物耳
愛情反転憎悪直前。


 柔らかな木陰の下、温かな風が心地よく吹いて髪を揺らして通っていく。はたしてヴァイルは来るだろうかという不安の胸に抱えレハトはひとりベンチに座って、目を閉じてその時を待った。
 さく、と草を踏みしめる軽い音がして正面を見ると、どこか躊躇いをみせる足取りでヴァイルが現れた。これから告白しようとするレハトの決意を感じ取ってか、いつもとは少し違ったぎこちない雰囲気になる。それでもヴァイルは普段通りに振る舞った。気の置けない親友として。
 レハトがはっきりと想いを伝えた後、空気が変わった。
「……せっかく諦めたのに……っ!」
 小さなヴァイルの呟きがしっかりレハトの耳に入った。
「えっ、もしかしてこの間の約束って告白だったの?」
「……なっ」
「なら好きとか、愛してるとか言ってよ!」
「な、んで……そんなこと」
「だって告白でしょ!? 今『せっかく諦めたのに』って言ったよね?」
「い、言ってない!」
「ほら動揺した!」
「そりゃ動揺もするってば。あのとき約束しなかったのに、なんで今になって、そんな……」
「だってずっと城にいられるなんてわかんないよ。生まれ育った村にも一度は行きたかったし」
「そんな里帰りみたいなもの約束に入らないでしょ」
「あのときのヴァイルって絶対城から出ないでって顔してた」
「どんな顔だよ!」
「そんな顔だよ! ちょっとの間違いも許してくれなさそうだったから、軽はずみで約束なんてできなかったよ」
「軽はずみなんか……っ」
 ヴァイルがゆるゆるとうつむく。人一倍魔物耳のレハトの元へヴァイルの呟きが届く。
「俺はそれだって……構わなかったのに……」
 身を乗り出したレハトへ冷たい眼差しを向けて笑う。
「でももう違う。あんたには冗談でも二度と言わないから安心してよ」
「言ってよ! 告白だって言ってくれなきゃわかんなかったよ馬鹿だもん!」
「……そっか、馬鹿だからか。だから、こんなこと今さら蒸し返して騒ぐんだ」
「馬鹿って言う方が馬鹿だ」
「今、自分で自分のこと馬鹿っていっただろ」
「う、うるさいやい。とにかくこっちが馬鹿ならそっちだって馬鹿なんだから!」
「何でそこまで俺を馬鹿にしたがるわけ? ああ、そうだよ馬鹿だよ。ほんっと馬鹿だったよ。あんたみたいなの相手にした俺が馬鹿だった」
「何その言い方! それじゃまるで私がもっと馬鹿みたいじゃない、か……」
 気がつくと、一定の距離を置いて人だかりができていた。二階から身を乗り出している者もいる。寵愛者たちが大声で言い争っていると知って、物見高そうな人々が好奇心をあからさまに顔に浮かべて行方を見守っていた。
「見世物じゃないから!」
 中庭の奥へと走って逃げるヴァイルの後をレハトが追っていく。振り切ろうとしたが足の速さは拮抗しておりすぐ後ろから浅い呼吸音が聞こえてくる。
「ついてくるなっ!」
「やだっ!」
 ついに、先を走るヴァイルの手がレハトに掴まった。けれど二人で走り続けているため立ち止ることもなかった。お互いぜいぜいと疲れたように呼吸し、隣を窺いながらひたすら走る。
 やがて森と言ってもいいほどの木々が生い茂る中庭の奥までたどりついた。緩やかにヴァイルの足が止まり、手を繋いでいるレハトは前につんのめってぶつかった。きっと振り返ったヴァイルは、肩をいからせ睨みつけた。
「どういう魂胆だか知らないけど、もう俺をからかっても無駄」
「ヴァイル、魂胆とかからかうって何。言ってることがさっぱりわかんないんだけど」
「俺もそうだよ。さっきあんたが何言ってるんだかって耳を疑ったね。あんた一体何がしたいわけ。この手いい加減離してよ」
「告白だよ。何のために呼び出したと思ってるんだ。一生に二度目の勇気振り絞ってする告白なんだから、今度こそ耳かっぽじってよく聞け馬鹿ヴァイル!」
 あまりの大声にヴァイルは驚き、熱を帯びたレハトの瞳にひるんだ。
「城に来てヴァイルだけが歓迎してくれた。次の王様で今の王様の甥っていうから偉そうとかとっつきにくそうとか思ったら全然そうじゃなくて、一緒にたくさん遊んで、たくさん笑って、一緒に色んなことして、色んなもの食べて、すごく毎日が楽しくて夢みたいで、こんなに気が合う相手初めてで、びっくりした。おまけにヴァイルも私といるといつも笑ってて、楽しそうで、きっと同じ気持ちでいてくれてるんだって思った。湖で、約束するつもりだったよ。ヴァイルといたら楽しいなって、ただそれだけで。でも、あのときの寂しそうなヴァイル見て、もし約束を少しでも破ったらヴァイルが消えちゃいそうで怖くなった。すぐ側にいたのに、どこかにいなっちゃいそうで怖かった。ヴァイルが抱えてきたものがとんでもなく重いんだなって驚いた。そしたら急に自信なくなって、何も言えなかった。ごめん。どうしたらいいのか考えた。考えたけど、分かんなかった。私はヴァイルのこと大好きだけど、ヴァイルじゃないから、どうすればヴァイルが一番幸せかなんて分かんない。教えて。ヴァイルが望むなら何でもするって覚悟決めてきた。教えてお願い」
 目と目を合わせ、繋いだ手をぎゅっと握りしめて懇願した。
「言っとくけどこれは友達の好きとか同情とかじゃなくて、真剣に愛してるってことだから」
 ヴァイルの口が開く。けれど声が出ない。何度も何度も言葉を飲み込んで口を閉ざそうとした末、消え入りそうな声がレハトの魔物耳に届いた。
「………………ずっと……一緒にいて」
「わかった、いる!」
 レハトは晴れやかな顔でヴァイルの両手を取り、自分の手と組み合わせ、頭突きしそうな勢いで額を合わせる。ごん、と音がした。
「痛っ」
「アネキウス様。私はヴァイルとずっと一緒にいると誓います。ヴァイルも愛する私と一緒にいたいと言ってます」
「そんなこと言ってな……っ」
「言ったも同じ。ずっと一緒にいられるようご加護ください。どうかお願いします」
 最後の言葉の後、二人を静寂が包んだ。かすかに葉ずれの音が聞こえるだけ。額を合わせたまま、息が互いの顔にゆるやかに触れて交わる。
「いままでさ、さんざん礼拝で居眠りしてたけど、神様だからそれくらい笑って許して聞き届けてくれるよね」
 ヴァイルは呆けたようにレハトを見つめていたが、がくりとうつむいて肩を震わせる。抑えられた小さな嗚咽が聞こえ、レハトは頼りなげに縮こまる身体を抱きしめたのだった。
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