変化 |
タナッセ友情Aエンド後。ヴァイルと約束済。レハトは女性、ヴァイルは男性に分化。 大人になるときを楽しみにしていた。世界が変わり、広がるのだと期待していた。 だが篭りに入ると、死ぬかと思うほどの苦しみが待っていた。話には聞いていたものの、体中が砕けてなくなってしまいそうな、巨大な何者かに身体をねじられるような痛みが襲ってきた。まともに物も考えられず、雛鳥のように給餌され、身のまわりの世話を受けるだけの毎日を過ごした。 身体が作り替えられた。すべて、どこもかしこも変わってしまった。子どもの頃の面影などどこにもなかった。髪の色もどんより濃くなり、顔の輪郭も、目も鼻も口も、すべて違ってしまった。嘆く私に、サニャは女性として成長したことを褒めそやした。ローニカは分化で誰しも性を得て姿を変えることや、大きく姿を変えた例をあげて穏やかに諭した。 私の心はちっとも晴れなかった。 目の前の鏡石に映る女性が頬をなでている。実際に私の手も頬をなでているが同一のものとしてではなく、向かい合わせに立つ他人を見る思いだった。心と身体はかけ離れてしまっていた。自分が自分であることを、大人になった身体が否定しているように感じた。成人するということは、子ども時代の何もかもを捨て去ることだったのか。 今の姿形が受け入れられないとはいえ、服も着ないでいるわけにはいかない。太くなってしまった腿や、膨らんでしまった胸回りの違和感を抱えたまま、部屋に衣裳係を呼んで新しい服をいくつか仕立てることになった。口が固い人間にしてくれとしつこいほど頼み、自分の変わり果てた姿を誰にも告げないように約束させた。 篭りを終えても部屋から出たがらないので、サニャが手を替え品を替え外へ誘い出そうとする。そのなかで私が気を引かれたのは、サニャの服を着て額を隠し、寵愛者ではなくどこの誰とも知れない使用人として中庭に息抜きに出るということだった。人目のある外に出ることに抵抗感があったが、素性を隠すのならいいかもしれないと思えた。化粧をほどこされると、ますますいい考えだと身にしみてきた。 人通りが少ない時間を狙い、部屋をひっそりと出る。中庭に出るまで二人の衛士と一人の侍従とすれ違ったが、誰も私だとは気づかなかった。ほっとする反面、やはり自分は別人になってしまったのだったと思い知る。 廊下からの日射しをあびて、少し肩の力が抜けてきた。見慣れた中庭の光景に、足取りが早まる。ベンチに座って周囲をうかがう。豊かな緑に囲まれて、張り詰めていた心が和らいでいく。 休みのときはよくヴァイルと中庭で遊び回った。隠れんぼをしたり、魔物ごっこをしたりと、小さな子どものようなことをしていた。彼と遊ぶと、何をしても楽しくてあっというまに時間が過ぎてしまうのだった。ついこの間のことだというのに、遠い昔のことのように感じる。 不意に後ろから男性の声がして、はっとして振り返る。 柔らかそうな飾り布を肩に掛け、後ろに背の高い衛士を従え、皮肉げな表情を浮かべた青年だった。 「なんだ、タナッセか……」 「何だと? 口の利き方に気をつけるがいい」 脅かさないでほしい。気が抜けて頭を落とした。 「今さら口の利き方もくそもないじゃないか」 「その言い草は……まさか、いや、そんなことはあるまいが……レハトか?」 「違うよ」 「レハトか」 「違うってば!」 「レハトだな」 断定されて口をつぐむ。 「なぜ使用人の服を着ている」 「別人だから、別人の格好をしたの」 タナッセの表情が固まった。言葉を探している。慰めようとしているのだとなんとなくわかった。だが、それはサニャやローニカにし尽くされたので間に合っていた。タナッセが口を開く前にこちらから話を始める。 「ヴァイルに合わせる顔がないんだ。違うから。たぶん気づいてもらえないよ。ヴァイル、私には優しかったけど、どうでもいい相手にはどうでもいい顔しかしなかった。そんなのは嫌だ」 「……お前がどう変わろうと奴が気にするとは思えんが」 「タナッセも、私だって気づかないくらいなのに?」 「あ……あれは後ろ姿で、お前がお仕着せを着ていたからだ」 「振り返った後も、口の利き方がどうのって怒ろうとしたじゃないか。そういうのをヴァイルにされたくないんだよ。たった一度きりで、たった一瞬だとしても」 自分で口にして、そのときはじめて部屋から出たくなかった理由に思い至った。 「子どもみたいな我儘だってわかってる。レハトが来たって伝えてもらえばそんなこと簡単に避けられる。額を丸出しにするのでもいい。でも、そういうのって何か違う」 タナッセが私をじっと見た。 「ひと目でお前だと見抜けと……そう望んでいるというのか?」 「無茶を言ってるのはわかってる。笑いたきゃ、笑えばいいよ」 彼は笑わなかった。 「継承の儀では顔を合わさないわけにはいかないだろう。お前も出席するのだぞ」 「あっ……」 「篭りが明けたのだから、儀式の練習もそろそろ始まるのではないのか」 「ああ……」 だめだ。レハトとして練習に出る時点で多くの人間に面が割れてしまう。 名案はないものかとヴァイルと再会する方法を考えていたのだけれど、さっぱり思い浮かばなかった。 結局タナッセに、この変わり様をヴァイルに言わないよう口止めをしただけで終わった。 ***** いよいよ明日から継承の儀の練習が始まるとローニカから聞かされた。部屋でじっとしていられず、また使用人の格好をして中庭へ向かおうとした。けれど途中でレハト付きの新入り侍従と間違われ、仕立てた服を自分で受け取りに行くことになってしまった。 タイミングの悪いことに、衣裳部屋にはヴァイルが来ていた。どうやら継承の儀で着る服を仕立てているらしく、退屈そうな表情で立っていた。髪が少し伸びており、容貌は男性らしさを帯びていた。それでいて一目で誰もがヴァイルとわかる成長ぶりだ。実に順当なかたちで分化していた。別人になってしまった己の姿が今さらながら恥ずかしくなる。 彼が以前なりたいと言っていたムキムキにはまだ足りないようだが、すらりと伸びた手足に新しい衣装を身に纏った姿は惚れ惚れするものだった。 一人だけいた衣裳係が人を呼ぼうとして、私に目をとめた。ヴァイルを見ようと近くにこっそり隠れていたのだが、衣裳係の目は鋭かった。彼女は逃げようとした私の手首を掴み、ヴァイルの身体に当てた布を押さえているように頼むとすぐに奥へ行ってしまった。 間近にヴァイルの顔がある。頬が熱くなるのを感じていた。離れたところから見ているのと、息がかかるほど側にいるのとでは全く違っていた。きりりとした意志の強そうな眉も、いたずらっぽさが大分なりを潜めた涼しげな目元も、愛嬌のある形のいい唇も、何もかもが懐かしく慕わしく、そして愛おしく思わずにはいられなかった。 素性がばれてしまわないようにと祈ってうつむき加減で大人しくする。それでもヴァイルの視線が、こちらに向いていることは、はっきりわかった。 衣裳係が行ってしまって、近くにいる人間が一人だけだから何とはなしに見ているだけだ。大丈夫、誰も正体に気づかなかったのだからと自分に言い聞かせる。 早くこの場から逃げ出したくてしかたがなかった。 変装した格好という最も避けたい状態で、顔を合わせてしまった。こんなことになるのなら、ヴァイルを見た時点でさっさと逃げておけばよかった。一つだけ救いになるとしたら、恐れていたような種類の眼差しではなかったということだ。篭りを経てヴァイルの心境に変化があったのかもしれない。 衣裳係が数人引き連れて奥から戻ってくると、仕立て作業が再開され、お役御免となった。言葉を交わすこともなく、ヴァイルから離れる。 自分の衣装を受け取り、仕方なく部屋へ戻るべく廊下を歩いていると、女性の侍従たち三人に呼び止められた。どうやら「レハト付きの新人侍従」の噂を聞きつけて来たらしい。彼女たちは興味津々で、もう一人の寵愛者がどのような姿に成長したのかを尋ねた。 好奇心に満ちた顔で返事を待っている彼女たちに、何と言おうか思案する。 なにしろヴァイル本人と会ってしまったのだ。儀式で初めて顔を合わせたとしても、なぜか篭り明け早々に侍従の格好で城をうろついていたという間抜けな印象が残るだけだ。 まるで別人のように成長したと真実を教えてもいい気がした。もっとなげやりに考えれば、自分がそのレハトだと言ってやりたくなってきた。 ところが私が口を開く前に、冷ややかな声が割って入った。 「こんなところで油を売っているということは、私が命じた仕事は終わったのだろうな。ミヤリス・ディト=カリャサ」 中央の侍従が飛び上がる。彼女にタナッセが小言を雨のように降らせる間に他の侍従はそそくさと退散してしまった。ミヤリスと呼ばれた侍従もきりのいいところを見はからって逃げ出したのだった。 二人きりになり、タナッセがため息をついた。 「お前はいつから侍従になったのだ」 「ついさっき」 ヴァイルと会った一部始終の愚痴をこぼすと、少しは気が晴れた。ありがたく礼を言って別れる。 部屋に衣装を置きに戻ると、再び中庭に出た。気力はすでに衣裳部屋で使い果たしていた。明日から忙しくなるのだからせめて今日はのんびり休みたい。人目につかない、とっておきの昼寝の場所があるのだ。 ***** 肩をゆさぶられ、目を覚ます。辺りは薄暗くなっていた。寝過ぎたらしい。木の幹に寄りかかったままぼんやり眺めると、ヴァイルの顔が真っ先に視界に入って目を疑った。見間違いかと目をこすってみるが、やはりヴァイルだった。 「こんなところで一人で寝てたら、寝坊しても誰にも起こしてもらえないよ」 見知らぬ使用人に対し、これほど優しい声をかけるヴァイルは見たことがなかった。 やっぱり夢だと思いなおして目を閉じる。何だか腹立たしかったせいもある。 「レハト、レハト、起きなよ」 名前を呼ばれて目を開ける。先程と同じく、覗きこむような体勢のヴァイルがいた。 身を引いたら後ろの幹にごつりとぶつけた。痛い。思いきりやってしまった。後頭部に触れると小さなたんこぶができていた。 「ああ、驚かせちゃった? ……っていうか、起きてるのかな」 「起きてる……」 「じゃ、戻ろう。レハトがいないってちょっとした騒ぎになってるよ。なかなか見つからないっていうから、ここだと思った」 差し出されたヴァイルの手を取って立ち上がる。 謎の侍従が誰だかヴァイルに知れてしまったようだ。寝ていたときに額の印が見えたのだろうか。額に手をやると前髪がくずれていた。 「衣装部屋にきたとき、ずっと黙りこくってたけどどうかしたの? 今も使用人の服、着てるし」 「一度こういうのを着てみたかったんだ」 「ふーん。何だ、あれってもしかして変装してたわけ? 額隠して」 「新入りの侍従のふりしてた」 「……なんだ。だから、知らんぷりしてたんだ」 「けっこうさ、皆、わかんないもんだよ」 「レハト、随分変わったもんな」 ヴァイルが微笑んだ。そのはにかむような笑顔は日射しのようにこちらを照らしてくるので、凝り固まっていた胸のわだかまりはあっけなく溶けてしまった。 隠れてこそこそしていたこと、変わってしまってうじうじと悩んでいたことが、急に馬鹿馬鹿しくなった。皆に口止めまでして。一度会ってしまえばどうということはなかった。 「ほんと。自分でもびっくりするくらい。タナッセは全然気づかなかったよ」 「俺はすぐわかったけど。レハトだって」 「ど、どうして?」 「えっと……だって侍従っぽい雰囲気がなかったから」 意外な理由だった。 「……それだけ?」 ヴァイルがうなずく。 一瞬期待して喜んでしまった。それだけに後から落胆の波がどっとおそってきた。 もっと心踊るような、胸がときめくような理由であってほしかった。ヴァイルにとって特別な、唯一無二に等しい大切な存在でありたかった。 一人で勝手に盛り上がろうとしていたのが恥ずかしい。成人前の最後の日、告白しなくてほんとうによかった。 そう大きなため息をついたときヴァイルが言った。 「ほんとはそれだけじゃ……ない」 仰ぎ見ると緊張した顔のヴァイルが私を見ていた。 「俺を見るレハトの目が」 「目?」 「前と、同じだったから」 「目元だってずいぶん変わっちゃったよ」 「そうじゃなくて……レハトの目、何ていうか……あんな目で見てくるのって、レハトしかいない」 「私だけ……」 嬉しかった。ヴァイルにそう言われて、ふわふわと浮き立つ気持ちに浸った後、ふと我に返って尋ねた。 「あれ、でもノーティだって、ヴァイルに求婚してくる他の人たちだって似たような目つきで見るんじゃないの?」 ヴァイルの頬が赤くなった。今、何かおかしなことを言っただろうかと思って見ていると、ヴァイルは手でかばって顔をそらした。 「ヴァイル、ねえ、何隠してるの。何でそこで赤くなるの。もしかして求婚者の中に気になる人でもいるの……まさか、あのノーティ?」 「違う、違うってば。そんなんじゃなくて。レハトってば、どうしてそんな方向にいっちゃうのさ」 ため息をついて、ヴァイルは私の手を取った。 私は正面に立つ成長したヴァイルの姿を、目にしっかりと焼き付けておかねばならないとばかりにじっと見つめる。もうすぐヴァイルは新国王となる。これほど側にいられる機会は、今後めったにないだろう。遠くから王としてのヴァイルの姿しか見られなくなるのかと思うと胸が締めつけられるほど淋しかった。ヴァイルも、少しはそう思ってくれているのだろうか。 「ほんとは、諦めるつもりだった。でも、ダメだった。…………レハトが女選んだって聞いたとき、やっぱり無理だって思ったんだ」 「無理って、何それ、私が女に向かないってこと?」 いくらヴァイルでもそれは言いすぎではないのか。自分の変貌に一番私が納得していないのだけれど、ヴァイルにそう言われたことはさらなる衝撃だった。 「レハト、最後まで聞いて」 「だって、そんな言い方ってない。私だって、私だって、好きでこんなのになったわけじゃないのに。でも」 ヴァイルの両手が、わめく私の顔を包み込む。覗きこむように顔が近づいてきて、やたらと気恥ずかしくなった。 「落ち着いて、レハト。俺はレハトのことぜんぜん悪く思ってなんかいないし、むしろ良い方しかない。っていうか……うん。あのさ、レハトのこと……好きだ」 親友として好きなのだろう。だから動じるつもりはなかった。けれど、ヴァイルがとどめをさす言葉を口にした。 「……レハト、俺と結婚してほしい」 「うん!」 反射的に返事をすると、ヴァイルがびっくりした顔になった。 「だって、すぐ答えないとって思って」 ヴァイルが小さく笑った。決まり悪くて先程の話をむしかえした。 「ねえ、さっきの、私が女選んだのが無理って」 「レハトはさ、前から女に向いてるって思ってたよ。やっぱり似合ってるし。俺が言いたいのは……」 そこでヴァイルは一旦口をつぐんで、ゆっくりかみしめるように言った。 「レハトへの気持ちを諦めるのが、無理になったってこと。女になったレハトを見て、もっと諦められなくなった」 その言葉に、頭がじわじわと熱を帯びたようにぼうっとしてきた。陽だまりに包まれたような感覚が体中に行き渡っていく。 「レハト、起きてる?」 「もう寝てないよ! 嬉しくて……感動してたんだよ」 「そっか……よかった」 ほっとしたヴァイルの声を聞いて、自分の気持ちを彼へはっきり伝えていないことに気がついた。 考えた末、両腕をヴァイルの身体へ回した。見上げたヴァイルは戸惑い気味の表情を浮かべていた。 「このくらい、ヴァイルが大好き」 力いっぱい、めいっぱい気持ちを込めて抱きしめた。 「うぐっ」 一度だけヴァイルの身体が揺れて、それきり、びくともしなかった。 腕の力を抜いて、彼の瞳を見つめて尋ねる。 「私の気持ち、伝わったかな」 「……うん。いっぱい伝わった」 「篭りで私の見かけがどれだけ変わっても、ヴァイルが好きって気持ちだけは変わらなかったし、これからもずっと変わらないから。覚えてて」 「もちろん。覚え……」 ヴァイルの声が詰まったように、途中で途切れた。 気がつけば彼の腕の中に抱き込められていた。小さな振動と共に、抑えられた嗚咽が聞こえる。 わずかに動かせた腕を、上へ伸ばした。どうがんばっても背中の途中までしか届かない。もう一度試したがやはり届かず、諦めて背中をなでた。目を閉じて、しばらくの間その場に立ち尽くしたのだった。 部屋に戻る道すがら、ヴァイルに尋ねた。 「今度はいつ一緒にいられるのかな。これからもっと忙しくなるんでしょ」 「うーん、継承の儀のときには会えるだろうけど」 「まさかろくに顔も合わせないままってこと、ないよね」 「あり得るかも」 「結婚はいつ頃できるの?」 「準備があるからそうすぐってわけにはいかないだろうな。あ……レハトがすぐでいいならって話だけど」 「うん、なるべく早くがいいな」 「わかった。後で伯母さんに相談しとく。……俺たちの報告もあることだし」 ヴァイルは部屋の前まで送ってくれた。 「じゃあ、また今度ね」 そう言って私の額に唇でそっと触れて、ヴァイルは離れていった。 ***** 「ヴァイルと結婚することになったよ」 翌日タナッセの部屋を訪ねて、そう報告した。ヴァイルの従兄弟でもあるし、篭り明け早々に話を聞いてもらい世話になったことでもある。何より、この喜びを打ち明けたかった。 「……そうか。昨日の今日でなぜそうなるのかまったく想像もつかないが。奴から逃げ回っていただろうに」 はっとした様子でタナッセが口を押さえた。 「いや、聞いているわけじゃないぞ。言わなくていいからな」 「言いたい。全て事細かに、じっくりたっぷり話したい」 「ごく個人的な事情など胸の内にしまっておけ」 「だって、私とヴァイルをよく知ってて、こんな話をできるのはタナッセとユリリエくらいだから」 タナッセの指がぴくりと反応した。持っていたカップを受け皿に置いた。 「ではそのもう一人の相手が登城するのを待てばいいだろう。今日の午後に来るはずだぞ」 「へえ、そうなんだ。ユリリエの予定なんかよく知ってるね」 「……血縁だから、いやでも耳に入ってくるだけだ」 「じゃあ、ユリリエが来たらこっちに来てもらって二人そろったときに話そうかな」 「お断りだ。お前たち二人だけで存分に語り合うがいい」 ********** ********** 成人する前に、俺は湖でレハトと約束をした。ずっと一緒にいるという約束だ。それでも具体的な将来のことなど何一つ話さないまま篭りを迎え、レハトとの関係を変えるつもりもなかった。 レハトが成人の儀で女を選んだ。俺は公言通りだという顔をして男を選んだ。もし俺たちが違う性別になったとしても何も変わらないし、変えられないのだ。 それなのに希望を持ってしまった。望めば叶うかもしれないなんて、思ってはいけないのに。レハトもいずれ俺を置いて城を出て行ってしまうのに。 どれほど欲しいと訴えても、一番欲しいものは決して手に入ることはないのだと思い知っていた。いつしか、諦めることに慣れたはずだった。ところが気持ちを抑えようとしても、胸が苦しくなるばかりだった。レハトだけは、と求めてしまう。 レハトの成人を楽しみに待ち望む反面、どこかで恐れていた。女になったレハトを見て、求めてしまう気持ちが更に強まりそうで怖かった。 俺がそんな勝手なことを考えていたから、レハトの篭りが長引いてしまった気がした。 ***** ようやく医士の診断のお墨付きでレハトの篭りが終わったと知らせが届いた。体調もすっかりよくなったらしい。けれど、レハトは部屋から出てこなかった。 俺は先に成人し、ぎっしり詰まったスケジュールに追われており、それを理由に会いに行かなかった。 衣裳係たちが入れ替わり立ち替わり周囲を動き、俺の身体に布を合わせる。退屈な仕立て作業が進む中、衣裳部屋に侍従が入ってきた。そう認識したのは、彼女がこちらに目を向けるまでだった。俺を見たその一瞬で、胸の中にすとんとレハトが落ちてきた。レハトだと思った。彼女は浮かべた笑顔をすぐに引っ込めて衣装の陰に隠れた。それでもこちらを見ていることは明らかで、視線はじりじりと焼き付くように熱を帯びたものだった。正直、恥ずかしくて遮ってしまいたくなる。 成人前から王配狙いがつきまとってきていたから、その種の視線を向けられることには慣れていたし、あしらい方もある程度慣れていた。なにより打算や追従が透けて見えていたからいちいち動じるなんてことはなかった。それがレハトからの視線になった途端、全く違うものに感じてどうしようもなくなってしまう。 篭りの少し前のレハトは、こんな風に俺を見ることがあった。むずがゆくて落ち着かない。……もっとも、見られること自体は全然嫌じゃないけれど。 いつの間にか衣裳係が一人になっていた。手持ちのピンが足りなくなったらしく、他の衣裳係を探して辺りを見回している。近くに潜んでいたレハトを見つけ、強引に連れ出した彼女をピンがわりに置いて奥へと立ち去ってしまった。 レハトは先程とはまるで打って変わったように大人しくなり、うつむきがちに目を伏せている。視線がそれたことで、じっくり確認できなかった彼女の姿をひそかに眺めた。 前髪は印が見えてしまわないように整えられていた。髪の色が濃く変化したのもそれに一役買っているようだった。篭りで伸びた髪を結い上げ、しっかりと施された化粧でずいぶん大人びて見える。染まった唇に目を止め、慌てて鼻先へ視線をずらした。レハトの顔は篭りでずいぶん様変わりし、自分でもよくレハトと気づいたものだと驚くほどだった。 顔色はよかった。化粧をしているから実際にそうかどうかはわからないが、部屋に入ってすぐ物陰に隠れた動きは素早かったし、側に来てからずっとふらつきもせず立っているのだから、体調も話に聞いた通りよくなったのだろう。 初めて見る女性型の服は似合っていた。見慣れたはずの侍従の衣装は、レハトが着ると新鮮に見えた。何というのかは知らないが白いひらひらの、髪飾りまでつけている。ドレスなら、レハトの後方の人型が着ているような可愛い感じの衣装が似合いそうだ。つい想像してしまい、すぐさま頭から追い払う。 衣裳係が戻ってきて、レハトは離れて行ってしまった。 仕立てが終わり、廊下を歩いているとタナッセを見かけた。その隣にはレハトがいた。俺と会ったときは一言も発しなかったのに、タナッセへしきりに話しかけている。 二人に気づかれる前に、足早に遠ざかった。 ***** あと一刻もすれば日が月に変わる頃、塔に戻った。レハトの部屋のある階が慌ただしかった。レハトが戻ってこないらしい。やってきたレハトの侍従頭に衣裳部屋で昼前に会ったと伝える。レハトは昼に一度部屋に帰ってきて、それからずっと誰も姿を見ていないということだった。 思い当たる場所がある。次の予定は夕食だけだった。レハトを探しに中庭へ走った。 辺りは薄暗くなりはじめていた。茂みを掻き分けてて走る。もしこれから行く場所にレハトがいなかったら……どこかへ行ってしまっていたら。城の外へは出られないとわかっていても胸がざわつき、追い立てられるように脚を動かした。 果たして、レハトは木の幹にもたれて眠っていた。衣裳部屋で見た格好のまま、静かに目を閉じていた。前髪が乱れて、ほんのり光る印が現れていた。 レハトはなぜ、自分を隠すようなことをしていたのだろう。別人のふりをしてまで。ただ驚かせたかったのなら、衣裳部屋で二人きりになったとき正体を明かせばいい。 ……会いたくなかったのではないか。知らず知らず顔が強張っていた。タナッセとは話して、俺とは口もきかなかった。俺にだけ会いたくなかったのかもしれない。 けれど、寝顔を眺めるうちに、衣裳部屋での出来事が脳裏によみがえる。瞬時に頭がのぼせて、思わず身を引いてしまった。違うかもしれない、と思える自分もどこかにいた。 顔を少し引きしめて、レハトの肩をゆすった。 起きたレハトは寝ぼけていた。まだ夢心地らしく、また眠ってしまう。もう一度起こされてやっとはっきり目を覚ました。 なぜ侍従の格好をしていたのか、思いきって聞いてみた。返ってきたのは、ただ着てみたかっただけという答えだった。 反対に、レハトの変装がわかった理由を問われて、はっきり言えずにごまかした。目を見ただけで分かった、なんて嘘くさいから。けれど彼女にとっては思ってもみない答えだったらしく、何かを諦めてしまったように寂しげな深いため息をついた。 レハトが今、俺との間に一線を引いた。 ぞっとした。 拒否されるのを恐れている場合ではなかった。 側にいて欲しいと願うなら、そう口にしなければならなかった。 物わかりのいいふりをして、城から出て行くレハトを見送ることのほうが恐ろしかった。この先ずっとひとりでいるなんて耐えられなかった。レハトが俺の最後の望みだった。 気がついたら告白していた。 告白どころか、求婚までしていた。 結局俺はレハトを諦めることなどできなかった。 諦めなくてよかった。 レハトは、俺をこのくらい好きだと言って息苦しくなるほど抱きしめてきた。苦しければ苦しいほど嬉しくなるなんて、不思議だった。 これからは、ずっとレハトと一緒なのだった。 ***** 伯母さんにレハトと結婚を約束したとを報告すると、レハト自身の意志も確認するため彼女の部屋へ向かうことになった。再会はもっと先になると思ってレハトと別れたばかりで、照れくささを覚える。 突然の訪問に、かちこちになって緊張したレハトが背筋を伸ばして言った。 「ヴァイルと結婚したいです、リリアノ。ずっとヴァイルの側にいたいんです」 迷いのない声音に、頬が赤らむ。 「そうか、承知したぞ」 伯母さんがにやりと笑った。 「祝いごとゆえ、早いほうがよかろうて。婚礼の儀は来月に間に合わせよう。何、準備は我に任せておけ。お主らはこれから色々と忙しくなるだろうからな」 予想以上の滑らかな成り行きに、たじろぐものがあった。レハトと二人で顔を見合わせる。 「いまだかつて継承者が並び立つことはなかった。なぜ現れたのか。この婚姻が、ひとつの答えになるというわけだ。まあ、鳥が先か卵が先かは、どちらでも良い。お主らの出会いが幸運であったことに変わりないのだからな」 |
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